統括施設長
池内正
施設長をさせていただいております池内正(66歳)と申します。
大分県佐伯市で生まれ父の仕事の関係で玖珠町、別府市、宇佐市、中津市、熊本市、阿蘇など転々としていました。小さいころから野球をしていて宇佐の名門校に特待入学しましたが、レギュラーになれず補欠でした。今振り返るに小学校の頃が野球人生のピークだったのでないかと思います。
高校卒業後何もわからないまま周りの勧めで病院に就職と同時に看護学校に行き准看護師を取得(当時は男性は珍しく数も少なかったです)公務員になりたくて国立福岡東病院に転職、30歳で自分の夢を実現したく居酒屋を経営しましたが、見事に失敗し再び看護師へ、結婚を機に妻の出身地である唐津に移り住み33歳で看護学校へいき35歳で看護師の資格を習得しました。唐津にきて31年になります。
一般病院、精神科、特別養護老人ホーム、老健施設を経験し最後の職場として「あおば」にお世話になっております。自分の経験を活かしながら「何事もあきらめず一生懸命、技術は二流されど精神は一流たれ」」をモットーに、自分の残り少ない看護師としての仕事、施設長としての役割を精一杯悔いのないように邁進していこうと思います。自分が出来なかった親孝行をいま利用様にできる事を喜びと感じながら・・・・・。
大分県佐伯市で生まれ父の仕事の関係で玖珠町、別府市、宇佐市、中津市、熊本市、阿蘇など転々としていました。小さいころから野球をしていて宇佐の名門校に特待入学しましたが、レギュラーになれず補欠でした。今振り返るに小学校の頃が野球人生のピークだったのでないかと思います。
高校卒業後何もわからないまま周りの勧めで病院に就職と同時に看護学校に行き准看護師を取得(当時は男性は珍しく数も少なかったです)公務員になりたくて国立福岡東病院に転職、30歳で自分の夢を実現したく居酒屋を経営しましたが、見事に失敗し再び看護師へ、結婚を機に妻の出身地である唐津に移り住み33歳で看護学校へいき35歳で看護師の資格を習得しました。唐津にきて31年になります。
一般病院、精神科、特別養護老人ホーム、老健施設を経験し最後の職場として「あおば」にお世話になっております。自分の経験を活かしながら「何事もあきらめず一生懸命、技術は二流されど精神は一流たれ」」をモットーに、自分の残り少ない看護師としての仕事、施設長としての役割を精一杯悔いのないように邁進していこうと思います。自分が出来なかった親孝行をいま利用様にできる事を喜びと感じながら・・・・・。
リハビリ・介護部長
寺田和敬
唐津市生まれ唐津育ち
学童期に大流行したファミコンには目も触れず、外遊びやサッカーに明け暮れる。
自身のスポーツ障害を機にリハビリテーションに興味を持ち理学療法士となる。
唐津市内の病院・介護施設に勤務し、疾病障害の急性期から回復期・慢性期在宅でのリハビリを経験する。折に介護保険制度が始まり、後の介護予防法の制定に伴い介護予防リハビリ運動というキーワードが唐津地域の健康増進に繋げられないかと考え、健康学を学び、健康運動指導士・介護予防運動指導員を習得する。
初恋の女性に教わった5つの言葉を胸に秘め、フィットリハの理念のもとに業務にあたっています。
① 口は人を励ます言葉や感謝の言葉を言うために使おう
② 耳は人の言葉を最後まで聞いてあげるために使おう
③ 目は人のよいところを見るために使おう
④ 手足は人を助けるために使おう
⑤ 心は人の痛みがわかるために使おう
自身のスポーツ障害を機にリハビリテーションに興味を持ち理学療法士となる。
唐津市内の病院・介護施設に勤務し、疾病障害の急性期から回復期・慢性期在宅でのリハビリを経験する。折に介護保険制度が始まり、後の介護予防法の制定に伴い介護予防リハビリ運動というキーワードが唐津地域の健康増進に繋げられないかと考え、健康学を学び、健康運動指導士・介護予防運動指導員を習得する。
初恋の女性に教わった5つの言葉を胸に秘め、フィットリハの理念のもとに業務にあたっています。
① 口は人を励ます言葉や感謝の言葉を言うために使おう
② 耳は人の言葉を最後まで聞いてあげるために使おう
③ 目は人のよいところを見るために使おう
④ 手足は人を助けるために使おう
⑤ 心は人の痛みがわかるために使おう
介護長
楮山泰治
令和5年5月に入社いたしました、楮山と申します。私が常に心掛けていることは「笑顔」「和」「思いやり」をもってかかわっていくことです。数多い高齢者施設の中で「あおば」に入所、デイサービスの利用をされている利用者さまとは、何かの縁があってお付き合いさせていただいていると思っています。その縁を大事に長くお付き合いできることを強く思っています。宜しくお願い致します。
看護師長
池内重子
高校3年時に友人にどうする?と聞くと「看護学校を受ける」と言われ、「私も」と言って現在に至っています。
福岡東病院附属看護学校を卒業し、大阪で4年勤務、福岡東病院5年半、福岡中央病院2年、H5年4月から4年前までの28年間唐津赤十字病院勤務後、現在の施設で4年目となりました。病院勤務が長期であったため、なかなか慣れず戸惑いながら過ごしてきましたが、日々利用者さんと関わることで充実し、やりがいを感じています。大変ありがたいと思いまだまだやれるという気持ちを抱いています。また、利用者さんに身体的・精神的ケアができるよう気持ちに寄り添う看護師でありたいと考えています。
福岡東病院附属看護学校を卒業し、大阪で4年勤務、福岡東病院5年半、福岡中央病院2年、H5年4月から4年前までの28年間唐津赤十字病院勤務後、現在の施設で4年目となりました。病院勤務が長期であったため、なかなか慣れず戸惑いながら過ごしてきましたが、日々利用者さんと関わることで充実し、やりがいを感じています。大変ありがたいと思いまだまだやれるという気持ちを抱いています。また、利用者さんに身体的・精神的ケアができるよう気持ちに寄り添う看護師でありたいと考えています。
- 赤木宏吉有限会社あおばへ令和4年9月に事務職として入社し1年5ヶ月になります。
入社前までは、長年物造りの工場に勤めていました。現場に居たころは、話し掛けても 返事が返ってくる訳でもなく黙々と作業をしていました。 あおばへ入社後は、事務職及び高齢者のお世話をさせて頂いております。 今まで介護の仕事の経験がなく、最初は戸惑いを抱きながら職務を遂行していました。
デイサービスご利用の通所の利用者様、入居者様ひとり一人個性があり、その人に合った コミュニケーションを大事に対応させて頂いています。話し掛けたことに対して会話となり 利用者の笑顔が見られることが私の喜びとなっています。 私の父は既に他界しておりますが、母は健在です。 利用者様年齢が自分の親世代と言うこともあり、第2の家族として親孝行を念頭にご対応させて頂いております。 これからも宜しくお願いいたします。 - 北原由佳長崎県壱岐市で産まれ、唐津市で育ってきました。
小学5年生の頃からヨットをはじめ、小・中・高・大学とヨットの日々。夏は黒く、冬は全身が赤くなるまで練習に打ち込む日々を過ごしてきました。関東の大学を出ましたが、唐津での生活が向いていると思い、唐津に戻りました。それからは市役所の臨時で働いてみたり、木材の工場でヘルメットをかぶって働いてみたり…。結婚を機に仕事をやめ、あおばで事務職として働かせていただいています。
人生の大先輩である利用者様との会話は、すごく楽しく、時には考えさせられることもあり、事務職ですが、現場にでて利用者さんと話すことが楽しみです。入社をし1年たたないうちに子供ができ、産休・育休とお休みを頂き、復帰をした際に、時短での勤務や勤務時間の調整をして頂き、すごく働きやすい環境で働けています。あおばで働き丸三年になりますが、利用者様との新しい出会いや別れを経験し、利用者様の記憶に残るような事務員を目指して頑張っていきたいと思います。 - 岸田憂大唐津市出身、市内の小中高に行きました。
高校は工業高校に行き卒業後、建築設計の道に行きました。小さい頃から大工などに憧れていて、夢の仕事に就くことができ大変でしたが、すごくやりがいを持って仕事をしていました。五年目を迎えたあたりで推間板ヘルニアになり仕事を思うようにできなくなっていました。 そんな時たまたま介護の仕事を紹介され、最初は不安でしたがやり始めてみると、やりがいを感じ、今の社会にとって必要不可欠な仕事だと思いました。それから五年と少しの月日が経ちましたが、今でもやりがいや喜びを持って仕事に励んでいます。 - 佐々木真織小さい頃から絵を描くことが好きで、中学や高校、大学で美術を学ぶ。
絵を学ぶ中で、皆で協力し合い一つの絵を完成させることに楽しみを見出す。 おばあちゃんっ子でもあり、親も介護施設の職員なため、高齢の方とのふれあいに興味があった。 あおばに入り、今ではたくさんの利用者様と絵を完成させている。 今後もこの特技を生かして利用者様とコミュニケーションをとっていきたい。 - 岩本綾1989年生まれ、唐津市出身。
小学生の時に入院していた祖父のお世話がきっかけで、人の役に立つ仕事に就きたいと思い、高校卒業後介護職に従事することになりました。22歳の時に介護福祉士を取得し、スキルアップしたいと思い、26歳の時福岡県八女市のリハビリ専門のデイサービスへ転職しました。その後、人との関わり方や接遇面を中心に多くのことを学び結婚を機に唐津へ戻りました。 あおばでもこれまでの学びを活かしていけるよう、日々努力を続けていきたいです。 - 佐野雅美唐津市の肥前町という自然しかない所に生まれて育って、とても健康に育った私は、ほぼ病気はせず毎日楽しく?生活しています。仕事は…健康な体なのでいろんな事をしてきました。ケーキ製造、乳酸菌の販売などやってきて、今は介護という仕事に就いています。毎日楽しく仕事をしています。 “仕事は笑顔で!!”というのが私の昔からの目標です。介護という職業はとてもやりがいがあります。なのでこれからもずっと笑顔で介護職ができればいいなと思っています。
- 藤元大輔前職は建設関係の仕事をしていましたが、心機一転介護の世界に飛び込みました。 最初はうまく利用者様とコミュニケーションが取れませんでしたが、今現在は頼りにされることも多く、お礼を言われることもあり、やりがいを感じています。休日には趣味の釣りに出かけリフレッシュしています。毎日を安心・安全に楽しく過ごせるように日々努めていきます。
- 山本匠1987年生まれ 佐賀県唐津市出身 小学生の頃からずっとウサギを飼っています。 いてくれて良かったと思われる人になれるように頑張っていきたいです。
- 落合李那1994年生まれ、佐賀県唐津市出身。 高校卒業後、介護職につき12年間従事して参りました。 表情ひとつでも利用者の方への印象は変わる為、笑顔で働くことで信頼を獲得し、利用者の心の拠りどころになったらと考えております。
- 秀島紗耶加唐津市出身です。利用者様が安心して過ごせるよう、サポートしていきたいです。
- 入舩力紀あおばで主任をしています、入舩力紀です。49歳になります。利用者の皆様が安心かつ笑顔と満足感が得られる空間を作れるよう務めてます。
- 佐々木理香 サービス管理者佐賀県唐津市出身
兄2人の負けず嫌いな末っ子。幼少期から水泳・バトミントン・空手を習いスポーツ大好きな女の子として元気に育つ。地元の高校を卒業後、実家の整骨院で事務員として働き、その後福岡のホテルや飲食店で調理師として働き料理の腕を磨く。 結婚後2人目を妊娠中に主人が起業し、まさかの介護の世界へ入る‼その後病気をして療養後、今度は福祉の世界に入る‼ 沢山の方々に助けて頂きながら現在に至る。あおばのスタッフ・利用者さんを笑顔にしたい一心で日々奮闘中です。 趣味は食べ歩きと愛犬ブルドッグとグレートピレニーズと一緒に遊ぶ事。 - 松尾佳明 主任唐津生まれ唐津育ち。
小・中・高と野球に明け暮れ、今でも地元草野球チームに所属し、仲間と楽しく野球をやっている。 最近はキャンプも趣味になり、コロナ禍の中、友達に誘われて行った以来家族でハマってしまい、年に数回は行って楽しんでいる。 自然に囲まれた中でご飯を作り、ゆっくりお酒を飲むとホッとして、気持ちもすっきりする。 2022年6月よりあおばに入社し就労支援に配属。まだまだ学ぶことがたくさんあり、力不足を感じているが、利用者と共に成長していきたいと思う。 - 川村 雅典“1961年生まれ佐賀県唐津市出身。”
中学・高校で軟式テニス部に所属。高校のインターハイではダブルスと団体で佐賀県代表として全国大会へ出場。 その後、福岡の私立大学へ入学。 40歳手前で硬式テニスに興味を持ち、最初は遊びのつもりだったが今ではテニススクールに通うほどにはまっている。 大学卒業後、地元で就職先を探していたところ、会社の窓ガラス越しにスーツ姿の男性が当時のワードプロセッサーを操作している姿に憧れ、 その企業に営業職で入社。その後IT関連の企業へと成長し、28年間勤務することとなった。営業先は県内すべての企業が対象で様々な業種で、 たくさんのお客さと知り合い、お世話になり毎日が新鮮で且つ、緊張の連続だった。この環境の中で自然とパソコンにも興味を持ちはじめ、 通常のパソコンでは満足できず自分で組み立てる楽しさを覚えた。 これまでの、わくわくする経験とたくさんの失敗は自分の中で大きな財産となった。 定年退職後、一般企業に再就職したが60歳を期に、これから先は個人一人ひとりの支えになる仕事がしたいと思うようになり、退職後、 「就労継続支援A型事業所あおばさん」に就職。毎日が勉強で思うようにならないことも多い中、一日の仕事を終え、充実感に満ちた利用者様の笑顔に癒されながら日々頑張っている。 - 赤木昭子福岡県山門郡瀬高町生れ、唐津市で育つ。
ヒョウ柄、大好き!!!でヒョウ柄に囲まれて癒されています。 小・中・高と夢中になることも見つからず、友達とのびのびと遊び過ごしてきたが、20年前にバドミントンを始め18年で現在休会中。 スコアはまだまだですがゴルフ歴10年と、体を動かす事が好き。 高校で商業高校を選択し、当時はワープロが主流であったが、パソコンへと時代は変わり、関数に興味を持ち、 仕事をしながら独自で覚える事で達成感を感じ、長年事務の仕事に就いていたが、今回就労支援の指導員に挑戦。壁にぶちあたりながら日々奮闘中。 - 山口麻記唐津市出身。
高校卒業後は岐阜県で3年間過ごし地元に帰ってくる。結婚後は子育てを優先しパート勤めをしていたが、子供の成長と共に就労支援あおばで働く事となった。 経験は無かったが昔から人と接するのは好きなので、明るく元気に信頼される指導員を目指してこれからも頑張りたい。 趣味は手作り雑貨を作る事。これからも自分の時間がある時は色々な物を作りたい。 - 坂本祐真佐賀県唐津市出身
小・中・高と野球漬けの日々を過ごす。 地元を離れ農業関係の大学に進学し、生き物の生態系や自然環境について学ぶ。 大学卒業後、養豚場の職員として他県で働く。 生き物のお世話も良かったが、より会話をするなどコミュニケーションをとりながら何かのお世話をしたいと思い、養豚場の仕事を辞めて地元唐津に戻り、介護士としてあおばに就職する。 介護で4年ほど働いた後、就労継続支援事業所に移り職業指導員となる - 前田利江唐津の山奥出身。義母の病気をきっかけに、介護の仕事に転職。田舎暮らしだったこともあり、職場の若いスタッフと高齢者の方言を通訳することが特技の1つになりました。 職場でたくさんの方とコミュニケーションを図り、いろんな相談を受けるうちに、心理的に悩める人のサポートが出来ればと思い、 JADP認定メンタル心理カウンセラーの資格を取得。見かけは年齢を重ねていますが、まだまだ成長中です。
- 柿本禎仁この業界は初めての素人で、利用者さんと関わりながらの日々勉強・・
毎日の業務は試行錯誤しながら、自分も利用者さんと一緒に成長させてもらってます・・・
コミュニケーションを取り合い、少しは厳しくも楽しさが感じられるような就労の環境作りをしたいと思います。
- 原口留美唐津市の自然豊かな環境で生まれ育ち、10代は自由奔放に過ごしてきました。 20代半ばで、介護に携わり〇十年以上がたちますが時代の流れと共に、まだまだ学ぶことも多いと感じております。学びを活かし今後も、あおばでケアマネジャーとして利用者さん、その家族さんに寄り添い関わりを持っていきます。
- 梶原美紀生まれも育ちも唐津市です。 小さなころから活発で、思い立ったらすぐ行動!突っ走りすぎるところもありますが、この行動力を仕事にも発揮して毎日励んでいきます。「鏡は先に笑わない」をモットーに笑顔を心掛け、周りを明るくできる存在になります(^▽^)/
- 古藤ゆみ生まれたときは未熟児だったそうですが、大きく育ちました。中学生の時にテレビで見た剣道にあこがれ、高校入学と同時に始め、卒業しても続けて、有段者にまでなることが出来ました。今ではできなくなりましたが、続けてよかったと思っています。今でも自分にできる趣味を見つけて続けて行っています。